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  • あの父が、と思う日――認知症の親を持つ家族へ、看護師の娘が伝えたいこと

    あの父が、と思う日――認知症の親を持つ家族へ、看護師の娘が伝えたいこと

    車を走らせながら、助手席と後部座席の会話を聞いていた。

    「で、どこに行くんやった?」

    花屋さんへ向かう途中、父が聞いた。お墓参りの前に花を買いに行く、そう話したのは2〜3分前のことだ。

    「またおんなじこと聴いてはるわ。花屋さんやろ。」

    母が呆れたように答える。

    そしてまた2〜3分が過ぎると、父はまた聞く。「で、どこに行くんやった?」

    父は90歳。認知症による短期記憶障害がある。

    看護師として、こういう症状のある患者さんを何十年も見てきた。「同じことを何度も聞くのは、本人には悪意も自覚もない。その都度、本当に初めて聞いているんです」と家族に説明してきた。

    でも、自分の父がそうなると、頭で分かっていることと、胸に来るものは、全然別だった。

    私が困ったことがあると、相談するのはいつも父だった。

    母も父のことを褒めていた。家の中で最終的な判断を下すのは父で、それは自然なことだった。そしてその判断は、的確だった。

    父は50代の頃、1級土木施工管理技士の資格を取得している。若い人でも何度も落ちるような試験を、50代で通った。バリバリと現場に出て、一家を支えていた。

    その父が今、花屋へ向かう車の中で、2〜3分ごとに「で、どこに行くんやった?」と聞く。

    悲しいとも違う。寂しいとも少し違う。あの父が、という気持ち。

    おそらく、同じ思いをしている方が、この国にはたくさんいると思う。

    同じ状況の家族へ

    認知症の方が同じことを繰り返し聞くのは、「さっき聞いた」という記憶がないからです。意地悪でも、わざとでもない。

    だから、責めても意味がない。でも、毎回穏やかに答え続ける家族が疲弊するのも、当然のことです。

    一つだけ提案するとしたら、「正しく答えなくていい」場面もあると知っておいてほしい。

    「花屋さんやよ」でも、「もうすぐ着くよ」でも、「大丈夫やよ」でも、父が安心できる言葉であれば、それでいい。認知症のケアは、事実を伝えることより、その人が穏やかでいられることを優先していい。

    8週間に1度、父と母を病院に連れていく。

    午前と午後、2つの病院をはしごする。午後のクリニックは父も母も私も、3人一緒に受診する。その間にランチもする。まる1日かかる。

    車の中で、父はまた聞くだろう。「で、どこに行くんやった?」

    その度に私は答える。「病院やよ、お父さん。」

    何度目でも、そう答える。

    でもそのランチの時間、父はよく笑う。母も笑う。それでいいと思っている。完璧な娘じゃなくていい。ただ、その場にいて、答え続ける。あの判断力で家族を支えてくれた父に、今度は私が寄り添う番なのかもしれない。