「お姉ちゃんみたい」——看護学校の仲間を見送って、財布のキーホルダーに残るもの

💉 看護師の日常

看護学校は全寮制だった。

あの頃は看護専門学校が多かった。中でも私たちの学校は特に厳しかった。

先輩と二人部屋。どの先輩も、みんな優しい人だったけれど、実習のカリキュラムは容赦なかった。毎日レポートを書いて、毎日提出して。眠れない夜も、泣きながら書いた夜もあった。みんなで励まし合わないと、乗り越えられないような三年間だった。

週末も家に帰れない。ほんの少しの自由時間に、みんなで集まってテレビを見た。ただそれだけのことが、どれだけ嬉しかったか。

先輩とも、後輩とも、同期とも。同じ釜の飯を食べて、同じ悔しさと達成感を抱えて暮らした三年間。だから今でも思い出せる。あの子はいつもこういう服を着ていた、あの子は毎朝必死にレポートを仕上げていた、あの子はいつも一番に部屋の電気を消して寝ていた、あの子は常に彼氏がいた…..笑 

制服じゃない時間の、それぞれの「らしさ」が。

卒業してからどれだけ会わない時間があっても、また会えばその頃に戻れる。そういう仲間が、三十六人いる。

その中の一人を、二年半前に見送った。


九年以上、闘い続けた友人

彼女が大腸癌だと知ったのは、九年以上前のことだ。再発を繰り返しながらも、ずっと治療を続けていた。

四年ほど前、また再発したと聞いた。それから仲間たちで同窓会を重ねるようになった。

ある日、病院の個室にいる彼女から電話があった。腫瘍が尿管を圧迫して尿が出なくなったため、入院することになったという。ステントを入れるだけ、と彼女は明るく言った。

妙にその明るさが胸に引っかかった。

電話口で、私は諦めきれなくて言った。

私「遺伝子パネルの検査、受けてみて」

彼女「ヒットする確率も低い。ヒットしても、一度アナフィラキシーショックを起こしたから抗がん剤はもう使えない」彼女は静かに答えた

私「抗がん剤は種類があるから、ヒットしたのが前のアナフィラキシーショックを起こしたのと違う種類かもしれないやん」

彼女「でも、抗がん剤は怖いねん。嫌やねん」

私「,,,私でよかったら一緒に診察に行こか?」

彼女「〇〇ちゃん、お姉ちゃんみたいや 笑 」そして、涙声に変わる。

私「〇〇ちゃん…何か方法ないの。私の病院に抗がん剤に詳しい先生がいるから、聞いてみる」 

二人で、わんわん泣いた。一時間ほど話して、電話を切った。


緩和病棟で、キーホルダーの色を選んだ日

私たちはできる限り、彼女の残された日々に思い出を作りたい気持ちでいっぱいだった。

紫陽花が彩る6月のある日、四人でランチに行く約束をしていた日に、彼女が緩和病棟に再入院することになった。

彼女は気にせず三人でランチに行くよう連絡をしてきた。不安な気持ちのまま三人でランチに行き、食事の後、そのまま病院へ向かった。

彼女を喜ばせたい一心で、お土産にお揃いのキーホルダーを買っていた。病室で彼女に見せると、彼女はひとつひとつ手に取って、誰がどの色を持つかを決めてくれた。

緩和病棟のベッドの上で、楽しそうに。


あの夜、十人で彼女を囲んで

危篤の夜、グループラインに連絡が入った。

仕事が終わり次第、都合がつき次第、みんな飛んでいった。関東や九州など遠くに住む仲間は来られなかったけれど、近くに住む十人ほどが次々と病室に集まった。私は五人目くらいで到着した。病室にはすでに旦那さんや兄弟、お母さんがいて、そこに同級生が加わっていった。彼女はもう意識がなかった。

みんなで彼女を囲んで、昔話をした。数時間、笑ったり、泣いたりしながら。その間もグループラインは鳴りっぱなしだった。来られない遠くの仲間たちが、「状態はどう」「そばにいるよ」と画面の向こうから問いかけてくる。来られた者が返事をしながら、みんなでやり取りを続けた。

その場で、彼女のお母さんが私たちに声をかけてくれた。

「後悔のないように。やりたいことはやらないといけないよ」

娘がこうなったことを経験したからこそ、出てきた言葉だと思う。その言葉が、今も心に残っている。

夜が深くなって、一旦解散することになった。解散してからも、みんなを安心させようとLINEはひっきりなしに続いた。

日付をまたいだ夜明けに、彼女は旅立った。

彼女が最期を過ごしたのは、私たちが卒業した看護学校を附属に持つ病院だった。同じ病院に勤める同級生や先輩が、仕事帰りにちょっと顔を出せる。そんな環境の中で、彼女は安心して最期を過ごせたのだと思う。「ここの学校を卒業して、ここの病院に入院できて良かった」と、彼女は言っていた。

そして最後、彼女が退院するところにも、駆けつけられた仲間が付き添った。

最後まで、みんなに心配をかけまいとしていたのかもしれない。疎遠になっていた仲間たちを、もう一度ひとつにまとめてくれた子だった。


キーホルダーが揺れるたびに

あれから二年半が経つ。

今も財布に、あの時のキーホルダーをつけている。ふとした時に手が触れると、緩和病棟で色を選んでくれた日のことを思い出す。

アラ還になって、死が遠い話ではなくなってきた。親を見送った人もいる。同世代の友人の病気を聞くことも増えた。怖いと思う。どう受け止めたらいいか、わからなくなることもある。

でもあの夜、彼女のお母さんが言った言葉を、私はこれからも持ち続けると思う。

やりたいことはやりなさい。後悔のないように。


キーホルダーが揺れるたびに、彼女とお母さんの声が聞こえる気がする。


コメント

タイトルとURLをコピーしました