育ててもらった私が、親を気にかける年齢になった ― 雨のラーメン屋で

介護

休みの土曜日。本当は、お昼までゆっくり寝ているつもりでした。

でも朝、母から電話がかかってきました。

「この前、時間が合わんくて行けへんかったラーメン屋さんな、今日こそ行きたいんやけど」

そう言われたら、断れません。

愛犬のお世話をすませて身支度を整え、両親を迎えに行きました。


人気店で、ちょっとハラハラ

お店に着いたのはオープンから15分ほど。

それなのに、駐車場は残り一台分しか空いていませんでした。

ご夫婦お二人で切り盛りされているお店で、一杯ずつ丁寧に作られているので、注文してから少し待ち時間があります。

実は私は、この待ち時間が少し苦手です。

というのも、父は待つことがあまり得意ではありません。

落ち着かなくなったり、大きな声が出たりしないかな――。

そんなことを考えながら、つい様子をうかがってしまいます。


父の「この店、新しいな」

案の定、父は店内を見回しながら言いました。

「この店、新しいな。最近できたんか?」

「そうやね」

そう答えてしばらくすると、また。

「この店、新しいな。最近できたんか?」

5分か10分おきに、同じ言葉を何度か繰り返しました。

認知症のある父にとっては、毎回が初めて聞く話なんですよね。

それでもこの日は、それ以上は何もなく。

運ばれてきたラーメンをおいしそうに食べる父の姿を見て、私はそっと胸をなで下ろしました。


母の食べこぼし

ふと隣を見ると、母の服にラーメンの汁が点々と飛んでいました。

「お母さん、汚れてるよ」

そう声をかけると、

「あら、ほんまや」

と、そこで初めて気づいた様子でした。

最近、こういうことが増えました。

昔は逆だったのに。

私が食べこぼせば、

「ほら、こぼさんと食べなさい」

「服が汚れるで」

そう言ってくれていたのは母でした。

気づけば今は、私が母に同じような声をかけている。

親に育ててもらっていた時間は長かったはずなのに、その立場が入れ替わるのは、思っていたよりあっという間なんですね。

少し寂しくて、でも、こうして一緒にラーメンを食べられることがありがたくて。

なんとも言えない気持ちになりました。


雨の中の帰り道

食事を終えて外へ出ると、雨が降っていました。

母がお会計をしている間に、私は父を先に車まで連れて行きました。

足元が滑らないように気をつけながら、ゆっくり歩いてもらいます。

そのあと傘を持って、もう一度母を迎えに戻りました。

母の頭の上に傘を差しかけて、一緒に駐車場まで歩く。

何気ないことなのに、母は少し嬉しそうな顔で言いました。

「ありがとうな」

その一言だけで、私の心まで温かくなりました。


それでも、私はまだ娘

帰りに母がドラッグストアへ寄りたいと言うので立ち寄りました。

すると会計の前に、いつものように言うんです。

「あんたの欲しいものも、籠に入れなさい」

もう私もアラ還です。

支えてもらう年齢ではなく、支える側の年齢です。

それなのに母は、今でも私の分まで買ってあげようとしてくれます。

気にかけるのは私の役目になったはずなのに、母は今でも変わらず親なんですよね。

だから私は、つい甘えてしまいます。


「娘」でいさせてもらえる幸せ

認知症の父。

足腰が弱くなってきた母。

気にかけることは年々増えてきました。

でも、その一方で、父は父のまま、母は母のまま。

そして私は、今でも二人の娘のままです。

親を支えることが増えても、まだ甘えさせてもらえる瞬間がある。

それは案外、とても幸せなことなのかもしれません。

雨の土曜日。

ラーメン一杯の時間の中で、そんなことをしみじみ感じた一日でした。


もし、あなたにも「いつの間にか立場が入れ替わっていたな」と感じる瞬間があるなら、それはきっと、長い年月をかけて大切に育ててもらった証なのだと思います。


アラ還看護師として、認知症の父と高齢の母との日常を綴っています。同じように親を気にかけている方の「わかる」に寄り添えたら嬉しいです。

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