はじめに
母が入院して、認知症の父と過ごした数日間のことを、前回書きました。
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母は、一週間で退院しました。
お腹の痛みも引いて、炎症の数値も下がって、「退院してもいいですよ」と言っていただけたからです。
正直に言うと、もう少しゆっくりさせてあげたい気持ちもありました。
でも、私も兄もバテていました。仕事もこれ以上は休めません。父はショートステイに行く気配もありません。
それでも私は、あれが最良の選択だったと思っています。
(母の病気について詳しくは、また別の記事に書きますね)
さて。母が帰ってきて、まだ一週間です。
入院前に作ったあのホワイトボードが、今どうなっているか。短い間ですが、その「その後」の話です。
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まず、使われなかった欄の話から
いいことばかり書いても仕方がないので、失敗から書きます。
ボードの裏面には、「散歩に行った時間を書く欄」を作っていました。
父は何度も散歩に出かけます。そして、出かけたことを忘れます。だから自分で時間を書いてもらえば、「さっきも行ったよ」と言わなくて済むと思ったのです。
結果は、ほぼゼロ回でした。
一度書いてくれたきりで、それっきり。
実は、作ったときに父自身が言っていました。
「こんなん、できるかなぁ」
できませんでした。でも、それでいいんです。父は正直に言ってくれていたのですから。
分かったこと:「書かせる欄」は続かない
ここで、大事なことに気づきました。
父が読む欄は、ちゃんと機能していました。
父が書く欄は、まったく続きませんでした。
考えてみれば、当たり前なのかもしれません。
「書く」というのは、自分から動く作業です。書こうと思ったことを、覚えていないとできません。
でも「読む」は、目に入れば成立します。忘れていても、そこにあれば読めるのです。
ホワイトボードを買ったけれど続かなかった、という方がいたら。
もしかしたら、書かせようとしていませんか。
読むだけの欄にすると、続くかもしれません。
「月曜日と水曜日やのに、なんで火曜日なん?」
母の入院中、ケアマネジャーさんの計らいで、デイサービスを臨時で増やしていただきました。
ありがたいことです。でも、父にとっては違いました。
「なんで今日行かなあかんのや」
「いつも月曜日と水曜日やのに、なんで火曜日なん?」
説明すると、父は理解します。「そうか、それなら行かなあかんな」と納得してくれるのです。
でも、数分すると忘れます。そしてまた聞きます。
三回目くらいから、こちらの言い方がだんだん雑になっていくのが、自分でも分かりました。
そこで、ボードに書きました。
「お母さんが入院しているので、今週は火曜日もデイサービスです」
次に父が聞いてきたとき、私はこう言いました。
「ホワイトボード、見てみて」
父はボードの前まで行って、しばらく読んで、それから言いました。
「そうか」
それだけでした。
ボードは、疲れない
このとき、はっきり分かったことがあります。
父は、分からない人ではありません。説明すれば、そのつど分かる人です。ただ、覚えておけないだけなのです。
だから、何度でも同じ説明が必要になります。
でも、人が何度も同じことを言うのは、しんどい。言うほうも疲れるし、言われるほうも、だんだん申し訳なくなってくる。
ホワイトボードは、疲れません。
何度読まれても、同じことを、同じ調子で伝えてくれます。怒らないし、ため息もつかない。
私が見つけたのは、記憶を助ける道具というより、何度でも代わりに説明してくれる相手でした。
「スイッチを切らないで」のイラストは、効きませんでした
もうひとつ、失敗の話をさせてください。
父は夜になると、いろいろなスイッチを切ってしまいます。Wi-Fiも、炊飯器も。
タイマーをかけておいた炊飯器を切られて、朝ごはんが炊けていなかったこともありました。
前回の記事で、「スイッチを切らないで」というイラストを貼った話を書きました。あれは、効きませんでした。
なぜ効かなかったのか。今になって、理由が二つ分かりました。
ひとつは、父が困っていなかったから。
父がスイッチを切っても、母がそっと入れ直してくれていたのです。だから父にとっては、切っても何も起きない。何も困らない。
困っていないことを貼り紙で変えるのは、無理だったのだと思います。
もうひとつは、貼りっぱなしだったから。
ずっと同じものが貼ってあると、だんだん景色になってしまうのです。
家の壁と同じです。毎日目に入っているはずなのに、もう見えていない。父にとってあのイラストは、途中から壁の一部になっていたのだと思います。
聞いてみたら、父なりの理由があった
泊まっていたある日、思い切って聞いてみました。
「お父さん、なんでこれ切るん?」
すると父は、こう答えました。
「明日、早う起きた者がスイッチを入れたらええ」
……理由が、あったのです。
もったいないから消す。でも困らないように、朝いちばんに起きた人が入れればいい。父の中では、ちゃんと筋が通っていました。
私はそれまで、「困った行動」だと思っていました。やめさせなければ、と思っていました。
でも、そうではありませんでした。
だったら、それを父の仕事にすればいい。父はこの家でいちばん早く起きるのですから。
「お父さん、じゃあ朝起きたらスイッチ入れるの、お願いね」
父は、ちゃんとやってくれています。
母が帰ってきて――「なんでダラダラしてるんや」
さて、本題です。
退院したばかりの母は、まだ本調子ではありません。前のようには家事ができない。
私は父に伝えました。「お母さん、退院してきたばっかりやから、ゆっくりさせてあげてね」
父は「分かった」と言いました。そして、忘れます。
父は父で、慣れない家事をあれこれやって、疲れてしまう。そして、横になっている母を見て、言ったそうです。
「なんでそんなにダラダラしてるんや」
……母から聞いたとき、胸が痛みました。
父に悪気はありません。忘れているだけです。でも、言われた母は、退院したばかりの体で、その言葉を受け止めなければいけない。
母が説明すると、父は分かってくれるそうです。でも、また忘れる。
父は、それを「手紙」と呼んだ
そこで、ボードに書きました。
お父さんへ
いつも元気に過ごしてくれてありがとう。感謝してるよ。
お母さんは退院してきて間もないから、前みたいに家事ができないけど、ゆっくりさせてあげてね。
二人で仲良く過ごしてね。
これを書いてから、母への言葉はなくなったそうです。
そして、母から聞いて驚いたことがあります。
父はそのボードを読むとき、こう言うのだそうです。
「今な、娘からの手紙読んでるんや」
――手紙。
父にとってあれは、注意書きでも、貼り紙でもなかったのです。娘からの手紙でした。
だから、何度読んでも嫌にならない。だから、素直にうなずける。
父は読んだあと、こう言ってうなずいているそうです。
「そら、そうや。お母さんは退院したばっかりやし、ゆっくりせなあかん」
使ってみて分かった、続くボードの書き方
まだ一週間です。これから変わるかもしれません。
それでも、効いたものと効かなかったものを並べてみると、共通点がありました。
1.書かせず、読ませる
記録欄は続きませんでした。読むだけの欄が残りました。
2.貼りっぱなしにしない
ずっと同じものが貼ってあると、景色になってしまいます。
だから、たくさん書かないほうがいいのだと思います。今いちばん必要なことだけを書いて、その都度、書き換える。 増やすより、減らして入れ替えるほうが目に入るようです。
3.宛名から始める
「お父さんへ」と書くだけで、指示ではなく手紙になります。
4.用件より先に、ありがとうを書く
「いつも元気に過ごしてくれてありがとう」が先。そのあとにお願いを書く。順番を逆にすると、たぶん読んでもらえません。
5.「なぜ」を書く
「ゆっくりさせてあげて」だけでは、父は納得できません。「退院してきて間もないから」という理由があるから、「そら、そうや」になるのです。
6.否定形にしない
「怒らないで」ではなく「ゆっくりさせてあげてね」。同じことを言っていても、受け取り方がまるで違います。
7.定位置に置く
うちは、父がいつも座っている座椅子のすぐ横に置いています。壁に大きく掛けるより、座ったときに自然と目に入る高さのほうが、読んでもらえました。
玄関に貼ったものは、見てもらえませんでした。
8.本人が困っていないことは、書いても変わらない
スイッチの話がそうでした。こういうことは、貼り紙ではなく、別のやり方を探したほうが早いのだと思います。
二人が、待っていた
ここまで工夫の話ばかり書いてきましたが、いちばん嬉しかったのは、実はそこではありません。
母の退院が決まったとき、父は、その日を心待ちにしていました。
そして母もまた、家に帰ることを喜んでいました。
九十年近く生きて、何十年も一緒にいて、それでもまだ、相手が帰ってくるのを待っている。
ホワイトボードがしたことは、たぶん、そんなに大きなことではありません。
もともと二人の間にあったものを、少しだけ通りやすくしただけなのだと思います。
外から見ると、違って見える
実は、こんな電話もありました。
「お父さんをショートステイに入れてでも、お母さんをゆっくりさせなさい」
親戚からでした。
母を心配してくれてのことです。ありがたいことだと思います。
ただ、その方は父の今の様子も、うちの事情も、詳しくはご存じありませんでした。だから、こちらの状況を説明しました。話せば、分かってくださいました。
介護をしていると、外からいろいろな言葉が届きます。
どれも善意です。でも、外から見た景色と、毎日その家にいる人が見ている景色は、違うことがあります。
言われたときは、少し揺れました。私の判断は間違っていたのかな、と。
でも今は、こう思っています。
決めていいのは、毎日そこを見ている人です。
説明できるなら、説明する。分かってもらえたら、それでいい。分かってもらえなくても、うちにはうちのやり方があります。
おわりに
ホワイトボードを作ったときは、父の記憶を助けるためのつもりでした。
でも母が帰ってきた一週間を見ていると、いちばん助けられていたのは、母だったのかもしれません。
そして私自身も、同じことを何度も言わなくてよくなりました。
認知症の家族に、同じことを何度も説明して、少し疲れている方がいたら。
責めない言葉で、理由を添えて、宛名をつけて、目に入る場所に置いてみてください。
うちの父は、それを「手紙」と呼んでくれました。

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