先日、家族でお墓参りに行ってきました。
お花をたくさん買って、私は花筒をきれいに洗いに流し台へ。その間、父と母に草抜きをお願いしていました。
戻ってきたら、びっくりする光景が。
草をぼいぼい投げる父
母が一生懸命買ってきたお花をお墓にセットしている横で、父が草むしりで抜いた草をその辺にぼいぼいと投げ捨てているんです。
以前の父だったら、新聞紙の上にまとめてきちんと集めていたはず。でも今日の父は、まるで自分の庭の草むしりをしているような感覚で、周りのことはお構いなし。
「ちょっと、それダメやん!ちゃんと片付けなあかんやん!」と声をかけても、「大丈夫大丈夫」とそのまま続けるんです。
雷が近づいてるのに
空を見ると雨雲が近づいてきて、遠くで雷の音も。
「早く終わらせよう!」と声をかけても、父はマイペースに草むしりを続けていました。
いつもの父だったら、雷の音を聞いたら真っ先に「早く帰ろう」と言うタイプだったのに。
ああ、やっぱりいつもの父じゃないな、と胸がちくっとしました。
こういう瞬間が、じわじわとしんどい。劇的に悪くなるわけじゃないから、「気のせいかな」と思いたくなる。でも確実に、少しずつ変わっている。頭では分かっていても、目の前でそれを見せられると、やっぱり胸が痛くなる。
怒っても仕方ない。分かってる。でも焦っているときは、感情がついてこない。それが介護の正直なところだと思う。
認知症は少しずつ進んでいく
今回のお墓参りで、父の変化を改めて実感しました。
劇的に変わるわけじゃないけれど、少しずつ、確実に変わっていく。それがまた切ないんですよね。
以前は「草はまとめて捨てるもの」「雷が鳴ったら急いで帰るもの」——そんな当たり前のことが、少しずつできなくなっていく。できていたことができなくなっていく過程を、そばで見ている家族の方がしんどいこともある。本人は悪気もなく、困った顔もしていない。だからこそ、余計に切ない。
でも怒っても仕方ない。父は悪気があるわけじゃないから。
雷が近づいてきて、正直焦っていた私。「早く!」「もういいから!」と父にきつく言ってしまいました。言った後に、またいつもの後悔が来る。それでも次の瞬間にはまた言ってしまう。その繰り返しだ。
母の強さを、お墓の前で知った
母は何も言わずてきぱきと動いていました。花の束をまとめて、ごみを片付けて、ろうそくとお線香もきちんとセット。
私はいつも母につい口うるさくしてしまうことがあるのだけど、この日ばかりは「さすがやな」と素直に思いました。
考えてみれば、母は毎日これをやっている。父のペースに合わせて、怒らずに、淡々と。私は時々手伝いに来るだけなのに、すぐにイライラしてしまう。母の強さは、長い時間をかけて積み上げてきたものなんだと思った。文句も言わず、弱音もあまり言わず、ただそこにいる。それがどれだけすごいことか。
そしてお線香とろうそくに火をともし、みんなで手を合わせる時、私は心の中でそっとつぶやきました。
「おじいちゃん、おばあちゃん、さっき偉そうに言ってしまってごめんなさい。いつまでも見守っていてね。また来るね」
認知症の介護をしていると、怒ってはいけないと分かっていても、感情がついてこない日がある。完璧にできなくていい。きつく言ってしまった日も、後悔した日も、全部ひっくるめて介護だと思う。同じように感じている方がいたら、あなただけじゃないよ、と伝えたい。お墓の前で手を合わせながら、そんなことを思いました。
父のことをずっと傍で支えてきた母。その強さを、お墓の前で改めて感じた一日でした。
介護はまだ続く。でも、母と一緒ならきっと大丈夫だと思えた日でもありました。


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