「また電話がかかってきた。今日も買い物か…」と思いながらも車を出す。そんな経験、ありませんか?
認知症の親と一緒に買い物に行くと、思っていた以上に時間がかかります。それはただ動作がゆっくりになったからだけではありません。ひとつひとつに目を配ることが、こんなにも増えるのかと、一緒に行くたびに気づかされます。
車を降りるのも、スライドドアが閉まるのを確認してから鍵をかける。こういう地味な気遣いが積み重なって、いつの間にか体も気持ちも消耗しています。
こちらの都合は関係ない、がデフォルト
そもそも行くタイミングは、向こうのペースです。食材が切れると「今日休みやろ」と電話がかかってくる。こちらの予定なんてお構いなし。しかも母はオープンと同時に行くのが好きで、それに合わせようとするとこちらまでばたばたになる。
宅配サービスや生協を使えばいいのでは、と頭ではわかっています。でも一方で、買い物に行くこと自体が認知症予防になるとも知っている。歩いて、選んで、会計して——その一連の動作が脳への刺激になるから、なるべく実際に行った方がいい、という気持ちも消えない。葛藤しながら、今日も車を出します。
外出・買い物が認知症予防になる理由
- 歩くことで脳への血流が増え、認知機能の維持につながる
- 商品を選ぶ・値段を見る・会計するなど、複数の認知機能を同時に使う
- 外の人と触れ合うことで社会的刺激になる
店の中では、自分の買い物は後回し
店の中では母のペースに合わせてゆっくり歩きます。自分が見たいものはゆっくり見ることもできず、両親を実家に送り届けてから、一人でもう一度スーパーへ向かう。そういう日が続いています。
レジが一番きつかった
母には、レジ待ちのとき前の人にぐっと詰め寄る癖があります。注意してもまた繰り返す。会計が終わっても財布を整理し始め、後ろに列ができていく。気がついたら、「早く」と強い口調で言ってしまっていました。
「もう怖いわ」
母がそう言って、よろけそうになった。しまった、と思いました。足が悪いのに、焦らせる方がよっぽど危ない。わかっていたはずなのに。
父が一人で歩いて帰っていた日
兄と両親で出かけた日のことも忘れられません。近所の平和堂で一旦解散して、決めていた場所で落ち合うはずが、父がいつまでも来ない。母と兄で三十分ほど店内を探し回った。
そのとき、実家の屋外カメラに通知が届きました。父が家の前に立っていました。自分が誰と来たのか、どうやって帰るのかわからなくなって、ひとりで歩いて帰ってしまっていたのです。
あのとき、カメラを設置しておいてよかったと心から思いました。AirTagも持たせているのですが、兄がAndroid、母はシニア携帯、父は携帯を持っていないため、iPhoneを持つ人が近くにいないと探す機能が使えません。私が一緒にいれば使えるのですが、兄と出かけた日は手が届きませんでした。今はカメラだけが頼りです。
それでも、ありがとうと言える
でも、両親も両親なりに気を遣ってくれているのだと思う。
「あんたは買い物ないのか?」と聞いてくる。「今日は大丈夫」と答えながら、でも少しだけ納得してもらうために、安いものをかごに放り込む。気にしてくれているのがわかるから、その気持ちに応えるための、小さなやりとりだ。
何回かに一回、そのままレジで支払ってくれる。ガソリン代を出してくれることもあるし、帰り道にランチをおごってくれることもある。年金生活の中からそうしてくれているのがわかるから、ありがとうと言いながら、申し訳ないような気持ちにもなる。
感謝されているのはわかっている。気持ちも伝わっている。それでも、なんとなく葛藤が残る。介護って、そういうものなのかもしれない。
最後に一番刺さった言葉
自分の買い物は、いつもあとで一人で行くことになります。その方が早いし、気も使わない。でも本当は、一緒に行けたらいいのにと思っています。
そんな愚痴を息子に話したら、一言返ってきました。
「行かなければいいやろ。行くって決めたんやったら、気持ちよく行ってあげろよ」
正論でした。態度に出ていたのかもしれない。反省しました。 「気持ちよく」——そう言い切れる日が来るのかはまだわからないけれど、それでも今日も車を出す。そういう日々を、これからも書いていこうと思います。


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