「娘より息子」——悪気がないのが、一番しんどい

👴 父の認知症

先日の夕方、母から電話があった。

兄が父をドライブに連れて行ってくれたらしい。認知症が進んでから、父が外に出たがる気持ちをうまく発散させるために、時間があればドライブに連れていくようにしているんだそう。

「そう、よかったね」と相槌を打ちながら、ちょっとだけ胸がざわついた。

先日、私は休みだった。


防犯カメラで見ていた

実は電話が来る前から、スマホで実家の防犯カメラをちらっと確認していた。出かける様子があったから、買い物かな、と思っていた。

後から兄とのドライブだったと知った。母経由で。

誘ってほしかったわけじゃない——いや、少しは思った。でも言えない。私のシフトが不規則だから、合わせにくいのも分かっている。

ただ、いつもそうなんだよな、とは思った。


親戚まわりも、お墓参りも、終わってから知る

昨日だけじゃない。

親戚の家に行くときも、お墓参りも、だいたい終わってから「行ってきたよ」と報告が来る。私が休みじゃなかったから、という理由で。

でも私の感覚では、前もって日程を決めて、都合を聞いてから動くのが普通じゃないかと思う。車で3時間の遠い親戚のところも、後から「行ってきた」と聞いて、私も行きたかったな、と思ったことが何度もある。

両親も兄も、悪気はない。それは分かっている。

だから余計に、何も言えない。


ご飯が用意されていた、あの日のこと

忘れられない場面がある。

私が実家で手伝っていたある日、兄がふらっと来た。するとそのタイミングでご飯が用意された。私の分はなかった。

父がまだ今より元気だったころで、「この子の分は用意しないのか」と言ってくれた。

私は「いいよ、帰るから」と笑って帰った。泣かなかったけど、なんだかな、と思いながら家に帰った。

あのときの父の言葉が、今でも頭に残っている。


母の日のジーパン

母が腕のブレスレットをずっと眺めていた。兄がそれに気づいて買ったらしい。千円だったと後から聞いた。母はとても喜んでいた。

私はユニクロでジーパンを1本と、パンツを1本選んだ。母が「ジーパンが欲しい」と言っていたから。

服を選びながら、母が言った。「あんたと一緒やと安心する」。試着室の前で待ちながら、今日は楽しいなと思っていた。

会計のとき、ふと思いついて「母の日のプレゼントにするね」と言った。その瞬間、母の顔が変わった。「そんな、悪いわ」と言いながら、財布から5千円を出してきた。

お直し代も入れて9千円弱。半分返ってきた。

喜んでほしかっただけだったのに。さっきまで試着室の前で一緒に笑っていたのに、最後の最後で母を困惑させてしまった。純粋に喜ばせることができなかった気がして、それがじわっとしんどかった。

兄のブレスレットに笑っていた母の顔が、羨ましかった。


悪気がないのが、一番しんどい

責めたいわけじゃない。

でも、ふと気づくことがある。私の周りでも似たような話をよく聞く。息子の方ばかり、とか、長女より次女が、とか。男女に限らず、家族の中に「なんとなくの差」ってあるものらしい。

うちの場合は、たまたまそれが息子と娘の間にある。

悪意がない分、指摘もできない。気づいてもらうこともできない。ただ飲み込んで、またいつかじわっと出てくる。

看護師として、患者さんのご家族と関わる中でも、似たような話を聞くことがある。介護の負担が特定の家族に集中していても、当の本人は「自分がやって当然」と思っていたり、周りは「あの人がやってくれるから」と甘えていたり。それが長く続くと、静かに限界がくる。声に出せないまま、ある日突然しんどくなる。

だから、気づいてほしいと思う。悪意がなくても、気づかないことが誰かを傷つけていることがある。

それが介護する娘の、ちょっとしんどいところだ。

最後まで読んでくださってありがとうございました。こういうことを書くのは、少し勇気が要りました。誰かを責めたいわけじゃない。ただ、正直に書きたかった。介護をしながら、家族の中での自分の立ち位置に悩んでいる方がいたら、ひとりで抱え込まないでください。「娘だから」「長女だから」「近くにいるから」——そういう理由で、いつの間にか一番しんどい側に立っていることがある。それに気づいてもらえないことも、ある。このブログが、そんな気持ちを少し吐き出せる場所になれたらうれしいです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました