「正しいことを言っているはずなのに、どうして伝わらないんだろう」——そう思いながら、今日も声を張り上げている。
介護をしていると、こちらが正論を言えば言うほど、相手との距離が開いていく感覚があります。頭では理解している。でも目の前でそれを見るたびに、胸がざわつく。そんな日々を、少し書いておこうと思います。
染みのついたシャツで、平気で出かけていく
父が外出するとき、シャツに食べこぼしの染みがついていることがあります。病院の受診日も、買い物の日も、本人は全く気にしていない。着替えを勧めると「大したことないやろ」と逆切れされることもある。
以前は、シャツにアイロンをかけていた人でした。襟や袖口までぴしっと整えて出かけていた父が、今は染みのついたシャツのまま平気で外に出る。その変化を目の当たりにするたびに、なんとも言えない気持ちになります。
診察のとき、父に聞こえないようにこっそり先生に聞いてみました。「以前はこんな染みがついた服は着なかったし、どちらかといえばきちっとした服装で出かけていたのに、今はこういうのが気にならないみたいで」と。すると「これも認知症の症状の一つですよ」と教えてもらいました。知識としては分かった。でも分かったからといって、胸のざわつきが消えるわけでもない。そこがまた、介護の難しいところです。
お風呂も、なかなか難しい
お風呂も似たような状況です。「毎日入りな」と言うと「しんどい」と返ってくる。デイサービスのお風呂は「誰が入ったか分からへんから嫌」と頑として入らず、お話グループで過ごしている。そのこだわりはしっかりあるのに、自宅では二日に一回でいいと思っている。
母も同じ考えで、二人で「まだ入ってる方やで」と私に言い返してくる。正しいことを言っているはずなのに、二人から見たら私の方が異常らしい。なかなか難しい、と思いながら、それでも言い続けています。変わる気配はないけれど、必要なことだから伝えるのをやめるつもりもない。
大きな声は、どうしてもきつく聞こえる
両親は二人とも難聴です。ふつうの声では届かない。めちゃくちゃ大きな声を出して、やっと聞こえるくらい。
父は補聴器をつけていますが、母はつけない。イヤリングもネックレスも、身につけること自体がストレスになるタイプで、補聴器も同じらしい。髪留めで肩が凝るという感覚、私にも少し分かる気がするから、強くは言えない。
ただ、母は聞こえていないのに、聞こえているふりをします。笑うタイミングではないところで笑ったり、とんちんかんな返事をしたり。うまくごまかしているつもりなのでしょう。だから自然と声が大きくなる。大きな声はどうしてもきつく聞こえる。怒っているわけじゃないのに、そう聞こえてしまう。それがちょっと、切ない。
「あんた、ほんまにきついな」
最後にそう言われる。
きついのかな、私。
でも、きつく言いたいわけじゃない。ただ、聞こえてほしいだけだ。伝わってほしいだけだ。大きな声になるのも、しつこく言い続けるのも、黙って見ていられないからだ。
それを「きつい」と言われると、少しだけ傷つく。でも明日も、たぶんまた同じことを言う。それが介護というものなのかもしれないと、今日もどうしようか迷いながら思っている。
同じような経験をしている方が、どこかにいるかもしれないと思いながら書きました。声が大きくなるのは、怒っているからじゃない。ただ、大切だから伝えたい。届いてほしい。きつく聞こえてしまっても、それでも明日もまた声をかけ続ける——それが今の私の、精一杯の愛情表現なのかもしれないと思っています。最後まで読んでくださってありがとうございました。


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