認知症の父が、両手に花火を。笑っていいのか泣いていいのか

👴 父の認知症

笑っていいのか泣いていいのか

笑っていいのか、泣いていいのか。認知症の親と過ごしていると、そんな瞬間が不意にやってくる。怒りでも悲しみでもない、名前のつけられない感情に立ち止まる。介護をしている人なら、きっと同じような瞬間に心当たりがあるんじゃないだろうか。今日はそんな、去年の夏の話を書いておきたい。

きっかけは、息子の彼女だった。一人暮らしで、ちょくちょくうちに泊まりに来る、人懐っこくて可愛い子だ。先日遊びに来ていたとき、彼女が私のブログを読んでくれて、「こんなことありましたよね」と話しかけてくれた。その一言で、去年の夏の出来事がよみがえってきた。忘れていたわけじゃないけれど、誰かと一緒に思い出すと、当時の空気までふっと戻ってくる。

浴衣を着て、準備万端で実家へ

マンションでは花火ができない。それなら実家の庭を借りよう、ということになったらしい。彼女は浴衣を着て、息子にも男物の浴衣を着せて、二人で夏の夜を楽しむ気満々で実家へ向かった。若い二人が浴衣で花火なんて、それだけで絵になる夜のはずだった。

父は父で「ろうそくがいるな」と気を利かせて、ちゃんと用意して待っていた。その気遣いは、昔のままだった。若い二人が来るのが、きっと嬉しかったのだろう。そこまでは、なんともほほえましい話だ。

防犯カメラに映っていたもの

その夜、私は夜勤中だった。休憩の合間にふと、そういえば今夜は息子たちが実家で花火をするって言ってたな、と思い出した。実家には父の見守りのために防犯カメラを設置している。離れて暮らす家族にとって、こういうカメラは思った以上に安心材料になる。なんとなく気になって、その小さな画面をのぞいてみた。

……なんか、おじいさんが両手に花火を持っている気がする。

気のせいかと思った。でも、何度見ても確かに両手だった。

両手にがんがん、だったらしい

翌日、息子に聞いてみたら「そうなんよ」とあっさり教えてくれた。父が楽しくなってしまって、両手にどんどん火をつけて、二人の花火をどんどん使ってしまったらしい。せっかく浴衣で来たのに、彼女はゆっくり楽しめなくて、ちょっと落ち込んでいたと。

笑っていいのか、本当に困った。

だって父は、もともと花火ではしゃぐ子供に「危ないぞ」と言うタイプの人だったから。花火を買いに走ることも、子供たちに混じってはしゃぐこともなかった、あの父が。その父が今、両手に花火を持ってがんがんやっている。人が変わる、というのはこういうことなんだなと、画面越しに思った。認知症は記憶や判断を奪っていくけれど、ときどき、こんなふうに本人も知らなかった一面を表に出すこともある。

彼女が笑って話してくれた

後日、お詫びの気持ちも込めて、三人でご飯を食べに行った。もちろん私の奢りで。

彼女は「のんびり線香花火を二人で楽しみたかったんですけど、おじいちゃんのおかげで、そういう雰囲気は微塵もなく終わりました」と、笑いながら話してくれた。浴衣を着て、ろうそくまで用意されていて、それなのに夜の主役はおじいちゃんだったと。

根に持つタイプじゃない。それがまた、救いだった。困った出来事をいい思い出として話してくれる、その優しさに、こちらが救われていた。介護をしていると、家族だけで抱え込んで気持ちが沈むことも多い。だからこそ、こうして一緒に笑ってくれる人の存在は本当にありがたい。

記憶は消えても、その夜は確かに楽しかった

認知症の介護をしていると、できなくなることばかりに目がいきがちだ。でも私は、感情の記憶は最後まで残るんじゃないかと思っている。何があったかは忘れても、楽しかった・嬉しかったという感覚は、体のどこかに残る。仕事で多くの患者さんを見てきて、そう感じる場面が何度もあった。

父はたぶん、あの夜のことを覚えていない。でも花火が楽しかったこと、若い二人が来てくれて嬉しかったこと、その気持ちはきっと残っている。

記憶はなくても、その夜、父は確かに楽しそうだった。防犯カメラの小さな画面の中で、両手に花火を持って。笑っていいのか泣いていいのか――今ならもう、笑っていいんだと思える。

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