GWの昨日、兄と私の休みが重なった。
せっかくだから両親を連れてどこかに行こう、という話になったけれど、ゴールデンウィークの混雑を考えたら遠出は無謀。結局、京都市内のお寺に行くことにした。近場だけど、両親にはちょうどいい。
お寺を参拝して、お土産もしっかり買った。私は職場の後輩へ、両親はいつもお世話になっている人たちへ。父はお土産選びがとても楽しそうで、あれがいいこれがいいと何度も棚の前を行き来していた。認知症が進んでいても、こういう場面では生き生きとしている。そういう顔を見るのが、外出に連れて行く一番の理由かもしれない。みんなで荷物を抱えて車に戻った。
帰り道、母が「デイサービスに履いていけるジーパンが欲しい」と言い出して、ユニクロに寄ることになった。
父は疲れていた。「俺は車で待っとく」と言って、二列目のシートへ。母は助手席、私は父の隣に座っていた。
父が買ったお土産がたくさんあったので、「邪魔やし三列目に置いておくね」と後ろのシートへ移した。そして父と私の間には、私が後輩へのお土産として買ったFUJIYAのペコちゃん味、季節限定の八つ橋がちょこんと置かれていた。
そのまま母のジーパン選びに付き合ってユニクロへ。
戻ってきたら——兄が言った。「ちょっと、今バリバリお父さんが食べてたで。お前のお土産ちゃうの?」
見ると、袋が開封されていた。食べかけの状態で。
お父さんはけろっとしていた。
……そりゃそうだ。父のすぐ隣に置いておいた私が悪い。
「悪気がない」を知っていても、やっぱり驚く
母はすぐに「お父さん、何やってんの!」と落胆した。その気持ちはよくわかる。
でも私は、笑えてきてしまった。
看護師として、認知症の「判断力の低下」については知識として知っている。「これは人のもの」「今食べるタイミングではない」という判断が難しくなっていく。目の前にあるもの、手の届くところにあるものに手が伸びてしまうのは、認知症の症状のひとつだ。
頭ではわかっている。
でも、よりによって期間限定・ペコちゃんコラボを——しかも真隣に置いておいた私も悪いけれど——こんなに鮮やかにやられるとは。
「いいやん、お腹空いてたんやわ。残り、みんなで食べよ」
そう言ったら、母の怒りも少しずつ収まってきた。最後に兄が「悪気があるわけじゃないんやから、そんなふうに捉えたらいいやん」とまとめてくれて、車内の空気がふっと和らいだ。
みんなで残りの八つ橋を食べた。おいしかった。
怒るより、笑える家族でいたい
認知症の介護をしていると、「怒ってはいけない」とわかっていても、感情がついてこないことがある。母のように落胆するのも、当然の反応だと思う。
でも、笑えた日はラッキーだと思うようにしている。
今日みたいに、「やられた!」と笑えた瞬間は、介護の重さを少しだけ軽くしてくれる。怒りで終わらずに笑いで終われた日は、なんとなく家族みんなの顔が穏やかだ。
帰り道、心の中でそっと思った。
あ、これブログのネタになる。
お父さん、後輩へのお土産だったけど、まあいいか。隣に置いといた私も悪かったし。おいしかったもんね。
認知症の方が「人のものを食べてしまう」のは、よくあることです。悪気はない。ただ、目の前においしそうなものがあったから食べた。それだけのことです。
怒っても仕方ない。でも正直、ちょっとは悔しい。そのふたつの気持ちが同時にある。それが介護の正直なところだと思います。
でも、笑えた日は、いい日です。
最後まで読んでくださってありがとうございました。介護をしていると、つらい日もしんどい日も多い。でも、こんなふうに家族で笑える瞬間があるから続けられるのかもしれません。ペコちゃんの八つ橋、期間限定だったけれど、みんなで食べた分はちゃんとおいしかったです。後輩へのお土産はまた改めて買いに行きます。認知症の介護をされている方、笑えた日を大切にしていきましょう。


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