先日、認知症の父が、一瞬だけ昔の顔に戻った話を書きました(前回の記事はこちら)。家族の相談ごとに、真剣な表情で考えて、ちゃんと意見を言ってくれた——あの瞬間のことです。
その夜、息子と話していて、もう少しだけ、この出来事の意味を考えることになりました。話せば話すほど、父が私たち家族に注いでくれたものの大きさが、改めて見えてきたのです。
父は、息子にとって「もう一人のお父さん」だった
うちは共働きで、息子は1歳から保育園に通っていました。私は朝7時台の電車に乗らなければならず、息子はパジャマのまま、両親に預けて家を出る毎日。
私の両親が、息子にご飯を食べさせ、着替えさせて保育園へ送り、お迎えに行って、夕ごはんとお風呂まで済ませてくれる。私が仕事から帰って迎えに行くころには、もうさっぱりした顔で待っている。そんな日々が、息子が幼稚園に入るまでの3年間、ずっと続きました。
とくに父は、車を運転できたので、大きくなってからは塾の送り迎えまで買って出てくれて。息子にとっておじいちゃんは、おじいちゃんであり、もう一人のお父さんみたいな存在だったんだと思います。それくらい、濃い時間を一緒に過ごしてきました。私が安心して働いていられたのも、両親が息子を大事に育ててくれたおかげでした。共働き家庭にとって、そばで支えてくれる祖父母の存在は、言葉にできないほど大きいものです。
「今度は僕がする番」——でも
先日、家でみんなで話したあと、父を実家に送り届けました。
そのあと息子が、おじいちゃんにこう声をかけたそうです。「おじいちゃんには、ちっちゃい頃からすごく助けてもらったから。今度は僕がする番やからね」と。
ところが父は、きょとんとした顔。「?」と、何のことだか分かっていない様子だったそうです。息子は笑いながら、「ほんまに、うちに来た一瞬だけやったなぁ」と私に話してくれました。
笑って話してくれたけれど。きっと、ちょっとだけ、さみしかったと思います。感謝を伝えたい相手に、その気持ちが届かない。そのもどかしさは、介護をする家族なら、誰もが一度は味わうものかもしれません。
3年前は、ちゃんと相談に乗ってくれた
息子が言うには——大学生のころ、ちょっとした悩みを抱えて、おじいちゃんに相談に行ったことがあったそうです。私は当時、なんとなくしか覚えていなかったのですが。
そのとき父は、しっかりと話を聞いて、ちゃんとアドバイスをしてくれたのだと。まだ3年前は、それだけ頼れる存在だったんです。
孫が、自分の親じゃなくて、おじいちゃんに相談に行く。それって、よっぽど信頼していないとできないことですよね。長い時間をかけて築かれた信頼があったからこそ、なのだと思います。
進んだのは、ここ1年だった
息子と話していて、改めて気づきました。父の認知症が本当に進んだのは、ここ1年くらいなんだ、と。
ブログにも書いてきた、いろんな出来事——Wi-Fiの電源を抜いてしまったり、ガスをつけっぱなしにしたり。買い物に行っても、誰に連れてきてもらったかを忘れたり、同じことを何度も聞いたり。そのほとんどが、この1年のあいだに起こってきたことでした。振り返ると、進行のスピードに、家族の理解が追いつくだけで精一杯だったように思います。
ただ、ここからは少しだけ前向きな話を。私が同行して神経内科を受診し、お薬を調整してもらってからは、進行が少し落ち着いているように感じています。「認知症は治らない」と分かっていても、できることはある。早めに専門医につながって、適切に薬を調整してもらうこと。その大切さを、看護師として、そして娘として、改めて実感しています。
それでも、消えないもの
おじいちゃんは、「今度は僕がする番」という息子の言葉を、もう覚えていないかもしれません。3年前にくれたアドバイスのことも、きっと忘れているでしょう。
でも、助けてもらった記憶は、息子の中にちゃんと残っています。父が注いでくれた時間は、消えません。そして「今度は僕がする番」という気持ちも、本物です。
注いでもらった愛情は、忘れられても消えるわけではなく、受け取った側の中で生き続ける。そして次の世代へと手渡されていく。順番に、こうして受け継がれていくんだなぁと、しみじみ思いました。
同じように、親や祖父母の介護をしている方に——あなたが注いでもらった時間も、ちゃんと残っていますよ。そして、あなたが今そそいでいる時間も、きっと誰かの中に残っていきます。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

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