何回経験しても、傷つく。
そのたびに「悪気ないんだから」と自分に言い聞かせて、飲み込む。 でも、やっぱり傷つく。
それが、今の私の正直なところです。
また、知らないところで決まっていた
8週に一度の受診日。午前は国立病院、午後はかかりつけクリニック。
その日はたまたま、父方のおばあさんの命日でした。
病院とクリニックの合間に少し時間がある。お墓、寄れるかもしれない。ひとりでそう思っていました。
「お母さん、今日命日やね。お昼の間にお墓参り行かへん?」
返ってきた言葉は——
「今日は行かへんねん。明日、お兄ちゃんと行くから」
もう決まっていた。また、知らないところで。
「そっか。じゃあ私は一人で行くわ」
そう言ったら、「なんやそれ、やったら今日みんなで行こか」という流れになりました。時間がなかったから、お花だけ買って。クリニックのあとに、3人でお参りしました。
帰り道、「明日もまた行けばいいやん」と言うと、お母さんは「これで一安心や」と言って、ほっとした顔をしていた。
そして翌日——やっぱりお兄ちゃんとお母さんと父の3人で、お墓参りに行ったらしい。
後から聞きました。
悪気がないから、何も言えない
昨日だけじゃありません。
親戚まわりも、ドライブも、だいたい終わってから「行ってきたよ」と報告が来ます。
私のシフトが不規則だから、合わせにくいのも分かっている。悪気がないことも、分かっている。
だから余計に、何も言えない。
それが、一番しんどいんです。
うちの家族の構図
少し説明しておくと、私は長距離の運転が苦手で、車の運転はほぼ兄がします。だから母は何かと兄を中心に予定を組む。私は「たまたま休みなら来れば」くらいのニュアンスで、合わせてまで誘おうとはならない。
母も兄も、どちらかというと自分のペースで動くタイプ。性格も似ています。
父と私は、どちらかというと似た者同士でした。
だから父は、そういう母や兄のペースの中で、さりげなく私のことを拾い上げてくれていた。それが父の、家族の中での役割だったんだと思います。
昔は、父が調整してくれていた
以前、兄がふらっと実家に来たとき、そのタイミングでご飯が用意されました。私の分はなかった。
そのとき父が、「この子の分は用意しないのか」と言ってくれました。
さりげない一言だったけれど、ちゃんと見ていてくれたんだな、と思った。父はいつも、そうやって家族のバランスをそっと整えてくれていた。
でも今は、もうそれができなくなってきています。
「以前の父」は、もういない
見た目は元気です。ADLも自立していて、笑うし、口笛を吹こうとするし、アイスを「食べる!」と即答する。
でも——以前の父は、もういない。
これが、認知症の家族にとって一番つらいところなのかもしれない、と最近思います。
亡くなったわけじゃない。でも、知っているあの人はもういない。その喪失は、じわじわとやってくる。
今のお父さんと、生きていく
悲観的になっても仕方がない、とも思っています。
いなくなったものをずっと探し続けても、苦しくなるだけ。だったら、今ここにいるお父さんを、ちゃんと見ていたい。
以前とは違う。でも、確かにそこにいる。笑って、食べて、口笛を吹こうとする——今のお父さんを、家族として楽しんでいく。
そういう前向きな気持ちを持ち続けることが、私にとっての介護なのかな、と思っています。
何回傷ついても、また立て直して。
それを繰り返していくしかないですね。


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