何回経験しても、傷つく——認知症の父と、知らないところで決まっていく家族のこと

👴 父の認知症

何回経験しても、傷つく。

そのたびに「悪気ないんだから」と自分に言い聞かせて、飲み込む。 でも、やっぱり傷つく。

それが、今の私の正直なところです。


また、知らないところで決まっていた

8週に一度の受診日。午前は国立病院、午後はかかりつけクリニック。

その日はたまたま、父方のおばあさんの命日でした。

病院とクリニックの合間に少し時間がある。お墓、寄れるかもしれない。ひとりでそう思っていました。

「お母さん、今日命日やね。お昼の間にお墓参り行かへん?」

返ってきた言葉は——

「今日は行かへんねん。明日、お兄ちゃんと行くから

もう決まっていた。また、知らないところで。

「そっか。じゃあ私は一人で行くわ」

そう言ったら、「なんやそれ、やったら今日みんなで行こか」という流れになりました。時間がなかったから、お花だけ買って。クリニックのあとに、3人でお参りしました。

帰り道、「明日もまた行けばいいやん」と言うと、お母さんは「これで一安心や」と言って、ほっとした顔をしていた。

そして翌日——やっぱりお兄ちゃんとお母さんと父の3人で、お墓参りに行ったらしい。

後から聞きました。


悪気がないから、何も言えない

昨日だけじゃありません。

親戚まわりも、ドライブも、だいたい終わってから「行ってきたよ」と報告が来ます。

私のシフトが不規則だから、合わせにくいのも分かっている。悪気がないことも、分かっている。

だから余計に、何も言えない。

それが、一番しんどいんです。


うちの家族の構図

少し説明しておくと、私は長距離の運転が苦手で、車の運転はほぼ兄がします。だから母は何かと兄を中心に予定を組む。私は「たまたま休みなら来れば」くらいのニュアンスで、合わせてまで誘おうとはならない。

母も兄も、どちらかというと自分のペースで動くタイプ。性格も似ています。

父と私は、どちらかというと似た者同士でした。

だから父は、そういう母や兄のペースの中で、さりげなく私のことを拾い上げてくれていた。それが父の、家族の中での役割だったんだと思います。


昔は、父が調整してくれていた

以前、兄がふらっと実家に来たとき、そのタイミングでご飯が用意されました。私の分はなかった。

そのとき父が、「この子の分は用意しないのか」と言ってくれました。

さりげない一言だったけれど、ちゃんと見ていてくれたんだな、と思った。父はいつも、そうやって家族のバランスをそっと整えてくれていた。

でも今は、もうそれができなくなってきています。


「以前の父」は、もういない

見た目は元気です。ADLも自立していて、笑うし、口笛を吹こうとするし、アイスを「食べる!」と即答する。

でも——以前の父は、もういない。

これが、認知症の家族にとって一番つらいところなのかもしれない、と最近思います。

亡くなったわけじゃない。でも、知っているあの人はもういない。その喪失は、じわじわとやってくる。


今のお父さんと、生きていく

悲観的になっても仕方がない、とも思っています。

いなくなったものをずっと探し続けても、苦しくなるだけ。だったら、今ここにいるお父さんを、ちゃんと見ていたい。

以前とは違う。でも、確かにそこにいる。笑って、食べて、口笛を吹こうとする——今のお父さんを、家族として楽しんでいく。

そういう前向きな気持ちを持ち続けることが、私にとっての介護なのかな、と思っています。

何回傷ついても、また立て直して。

それを繰り返していくしかないですね。

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