土曜日の今日、私の大好きな「旬の駅」へ行ってきました。お目当ては、詰め放題。あの袋いっぱいに詰め込む瞬間が、私はどうにも好きなんです。どう詰めればもう一つ入るか、あれこれ考えるのが楽しくて。一人で行こうかと思ったけれど、せっかくだからと両親も誘ってみました。すると二人とも「行く行く」と、思いのほか嬉しそうについてきてくれて。それだけで、なんだか少し得した気分になりました。久しぶりに家族そろってのおでかけで、車の中の空気もどこか弾んでいました。
車の中で、母がぽつりと
詰め放題を楽しんで、ほくほくした気持ちで車を走らせていたとき、助手席の母が、ふと悩み事を口にしました。ちょっとした家族の心配事です。中身はここには書きませんが、私一人ではどうにも答えが出せないような話でした。
「うーん、それはお母さん、私だけじゃ決められへんなぁ」
そう言いながら、頭の中ではぐるぐると考えていました。こういうとき、一人で抱え込んでもいい方向にはいかない。家族の問題は、一人で背負うほど視野が狭くなってしまうものです。私はすぐに息子に連絡を取りました。すると息子が、「一回うちで、ちゃんと話そうや」と言ってくれて。ありがたかったです。
お父さんは、マッサージチェアで待機
家に着いて、まず父にはマッサージチェアに座ってもらいました。「おじいちゃん、ちょっとここでマッサージしときぃ」と声をかけて。認知症の父は、すぐに忘れてしまうから、深刻な相談の輪に入れるよりも、まずは三人で落ち着いて話そうと思ったんです。込み入った話は、本人を不安にさせてしまうこともありますから。
私と母と息子。三人であれこれ意見を出し合いました。けれど父はというと、しばらくすると「もう帰りたい」と言い出して。家ではタバコも吸えないし、落ち着かなかったんでしょうね。「もうちょっとやで」となだめながら、私はふと、思い切って父にも話してみることにしたんです。
真剣な顔で、考えてくれた
「お父さん、実はな、こうこうこういうことで、今ちょっと悩んでることがあるねん」
そう打ち明けると、父は「そうか」と、ぐっと真剣な表情になりました。そして少し間をおいて、自分の考えをちゃんと言葉にして返してくれたんです。
たった一言、二言のやり取りでしたが、その瞬間の父の顔が——本当に、昔の父でした。家族の相談ごとに、どっしりと構えて意見をくれていた、あの頼りがいのある父の表情。言葉も、ちゃんと筋が通っていました。
認知症になって、できないことが増えて、同じことを何度も聞いて。そんな日々の中で、私はどこかで「もう昔のお父さんはいないんだ」と思っていたのかもしれません。でも違った。その一瞬一瞬では、父はちゃんと考えている。ちゃんと、私たちのことを思ってくれている。それが、たまらなく嬉しくて、懐かしくて、少し泣きそうになりました。
送って帰ったら、もう忘れていた
でも——現実はそう優しくはありません。父を家まで送り届けて、しばらくして。息子が「おばあちゃんの心配ごと、僕がちゃんとするから大丈夫やで」と父に声をかけたら、父は「ほーん」と、まるで何も覚えていない様子だったそうです。
ついさっき、あんなに真剣に考えてくれたのに。もうきれいさっぱり、忘れている。
それが認知症なんだと、頭ではわかっています。看護師として、記憶がその場限りになってしまうことも知っています。わかっているけれど、やっぱり少しだけ、胸の奥がきゅっとなります。
それでも、私は思うんです。忘れてしまっても、あの瞬間の父の表情は、確かに本物だった。考えてくれた時間も、かけてくれた言葉も、なかったことにはならない。父は忘れても、私がちゃんと覚えている。それでいいんだと思います。
ほんの一瞬の面影が、明日への力になる
認知症の介護をしていると、できなくなったことばかりに目が行きがちです。何度も同じことを聞かれ、さっき言ったことを忘れられ、心が疲れてしまう日もあります。でも、ほんの一瞬でも昔の面影が戻ってくる瞬間があると、その一瞬が、明日もがんばろうと思わせてくれる。
きっと、そういう小さな瞬間を見つけて、心の引き出しにそっとしまっておくこと。それが、介護を続けていくうえでの、ささやかだけれど確かな支えになるのだと思います。今日はそんな、あたたかい一日でした。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。同じように親の介護をしている方に、少しでも届いたら嬉しいです。


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