認知症は治らない——散髪屋に行けなくなった父と向き合う

👴 父の認知症

毎朝、出勤の車の中で母に電話をかける。安否確認を兼ねて、帰宅時にも。

電話に出た母は、たいていこう言う。

「大変やわ。昨日ね、お父さんと散髪屋に行こうとしたんやけど、場所が思い出せんくて、ウロウロしてクタクタになって、結局散髪せずに帰ってきたんよ」

私は「そうやったんや、大変やったね」と返しながら、心の中で思う。

**これは、治らない。**

看護師として、私は知っている。

認知症による記憶障害は、回復するものではない。進行を緩やかにすることはできても、「元に戻る」ことはない。

でも母は、今もそう信じていない。

「ちゃんとリハビリしたら良くなるんちゃうの」「気をつけたら思い出せるんとちゃうかな」

悪気はない。ただ、受け入れられないのだ。90歳まで一家を支えてきた夫が、道を忘れて帰ってくる現実を。

**家族が「現実」を受け入れるまでには時間がかかる**

認知症の家族を持つ方に、まず知っておいてほしいことがある。

**家族が現実を受け入れられないのは、当然のことだ。**

長年連れ添ったパートナーが変わっていく。それを「治らない」と認めることは、とても苦しい。母を責めることは私にはできない。

ただ、現実を受け入れないまま接し続けると、**介護する側が消耗していく。**

「なんでこんなこともできないの」「昨日言ったじゃない」——そう言いたくなる気持ちは分かる。でもそれは、本人には届かない。

**私が母に伝えていること**

母への電話で、私はこう言うようにしている。

「お父さんを責めんといてな。悪いんと違うから」

「散髪屋に行けんかったのは仕方ない。また今度でいいよ」

母は難聴で、私の声のトーンが聞き取りにくいこともある。補聴器を勧めても「私には必要ない」と言う。だからついつい大きな声になる。

そして最後に母はこう言う。

「あんたはきついなあ」

…笑うしかない。

看護師として正しいことを伝えようとするほど、娘としての距離が開いていく気がする。それが、母との関係のむずかしさだ。

完璧な対応なんて、できなくていい。

それでも明日も、出勤の車の中から電話をかける。毎朝声を聞いて「今日も元気やな」と確認できることが、今の私にできる一番のことだから。

認知症は、少しずつ「できること」を奪っていく。

散髪屋に行けなくなったのも、その一つ。
本人が一番、わかっているかもしれない。

だから私にできることは、
できなくなったことを嘆くより、
今できることを一緒に楽しむことだと思っている。

次に散髪に行くときに、また考えよう。
それでいい。

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